…ネットは広大だわ。ネットの海と鯉のぼり
…ネットは広大だわ。しかし逃げることが出来ない。
このセリフは劇中で、
「ネットの世界は広いからなんでもすることができるんだ。自由である。」
、という肯定的な意味あいで使われています。
後ろに続く文は、警視庁のサイバー犯罪撲滅キャンペーンのコラボで、ポスターに付け足されました。
警視庁とのキャンペーンだから、どんな悪さをネットの世界で働いても、私達が必ず捕まえてやる、との事でしょうが。
しかし私は、後に続く文に別の意味合いがあると思います。
ネットの世界は広大だが、私たちは逃げることができない。この世界を一度開いてしまえば、世界は私たちを飲み込んでしまう。
飲み込んでしまえば、後にはもう戻れない。
ネットの世界。今の時代、だれでも、いつでも、どこからでも繋ぐことができます。
私たちはパソコンという道具を使い、ウィンドウズ、言葉通りネットの世界への窓を覗くことによってアクセスできます。
しかし、窓を覗くということは、世界の一片しか一度には見えないのです。
これでは広大だと言われてもピンときませんよね。
ですが、私たちは窓を切り替えるすべをしっています。
ずばり検索のことです。
知りたいことをキーワードにして、検索するだけで窓を切り替えれます。
これが優秀なもので、一番知りたかったこと順に上から表示されているのです。
私が知りたいことを、誰かが既に書いていることが前提ですが、これが不思議で既に誰かが考えているのです。
調べたいことは何処かに必ずあります。
地球に人が踏み入れていない場所がもうほとんどないように(深海除く)、頭に降ってくるアイデアも既に誰かが頭をこねくり回した、使い古しです。
調べたい事柄を探すため我々は検索する。
例えれば、目当ての宝を探すために地図やコンパスを使うということです。
しかし検索(地図)の使い方を知らないと、その宝には到底近づくことすら出来ないです。偶然たどりつけたとしても、ひどい遠回りです。
検索力こそが、これからの時代は宝になるでしょう。
スマホの浸透によって、いままで以上に多くの人が検索を駆使し、いろいろな情報や知識を持ちます。
昔のような、多くの知識がある人を教養のある人だとはいえなくなるでしょう。
知識を持っていても、持っているのが当たり前となった時代では、持っているだけでは話になりません。
使い方を知って初めてその知識がいきるのです。
知っているだけでは、知識ではなく、天気予報やニュースと同じ、ただの情報だと自覚しましょう。
情報を知識へと昇華させていきましょう。
話は変わります。
我々が生活していく上でネットワークはなくてはならないものです。
私達の生活を、ネットワークの力無しで語れますか?
まず、ネットワークがなかったら私の記事自体存在していないでしょう。テレビや新聞などのメディア以外では自由に発言できる人はとても少なくなります。
昔に戻ったと言えばその通りですが、時間は巻き戻せません。
テレビを見る事も、電車のインフラ整備も、自販機も、スマホだってネットワークという構造を使わないと存在すらできません。
こんな事を聞いたことがあります。
Instagram(インスタグラム)には、1日で6千万数もの写真がアップロードされる。(2014年)
googleは、世界の全ての情報を整理して、全ての人が自由にアクセスできる世界に変えることが目標だといっています。
日々、片時も忘れず、ネットの世界は領土が増えては増えています。
私がこの記事を書いたことでも、また増えてしまいました。
googleさん、これもソートしてくれますか?
その広がりは、スマホが流行ったことでさらに莫大に広がりを見せています。
その広がりに終わりはないのでしょうか?
疑問が生じました。
本当にネットの世界は膨張しているのでしょうか?
もしかすると予め入る量が決まっていて、満タンになると一気に破裂してしまうのではないか?
もしかするとネットの世界は、コップのように情報が満タンになれば、あっという間に溢れてしまうのではないか?
こぼれてしまったものが、どこに行くのかなんて想像もつきません。
この疑問を基に、膨らむものについて考えます。
同じように膨らむものであなたが連想するものはなんですか?
風船? シフォンケーキ? カルメラ焼き? 吹きガラスの瓶? お餅? 綿菓子? 鯉のぼり? ほっぺた?
沢山ありますね。
時間が膨らむこともあります。
※2000年問題(未遂)ですね。
時間が膨らんで起きた大事件についてはまた別の機会に話していきましょう。
さあ、はたして上記の仲間にネットワークも無事に該当するのでしょうか?
私はどうしてもそうは思えないのです。
よくネットワークの世界と宇宙の世界は同等に扱われています。
ネットワークと同じように宇宙の膨らみについても語っていきます。
まず、膨らむとは何でしょう?
何かを入れ続ける時、ある容器に入る量を越えだすと始まり、限界まで入る事で終わる現象、だと私は定義しています。
初めから萎んでいる状態の時で、元のサイズに戻ろうとする事も膨らむと言うのでしょうがここでは気にしません。
限界まで入ることで終わる
物を入れることができる容器があるからそこに物が入ります。
風船やシフォンケーキやお餅など、空気を入れる容器を持っているからこそ入れることができるのです。
この容器、物が入る量は、その容器によって予め決まっています。
入る量を超えてしまうと、知っている通り破裂してしまうのです。
ほっぺたに息を入れすぎて、耳がキーンとなってしまった苦い経験があるかもしれません。
あれです。
しかし例外として綿菓子、カルメラ焼きや鯉のぼりはどうでしょう?
綿菓子には容器がありません。
砂糖を使い、箸を回すと魔法のように出てくる、なんておもってないでしょうか?
まぁ、おおかたその通りでしょうが。
綿菓子の原理を知っていますか?
材料であるザラメ砂糖を綿菓子機の中に入れて、ザラメ砂糖を機械の中で溶かし液体にして、糸状に噴射して遠心力で回して作ります。
砂糖は常温では固体ですが、熱するとドロドロの液体になります。しかしまた常温にするとすぐ固まる性質を使っているのです。
砂糖の量で、できる綿菓子の量も変わるのです。
この性質はカルメラ焼きも似ています。
カルメラ焼きは重曹(炭酸水素ナトリウム)を使います。
炭酸水素ナトリウムは熱すると熱分解によって二酸化炭素が発生します。
この二酸化炭素が外に出ようとして膨らみます。
綿菓子も、カルメラ焼きも、いずれも風船などと同じ容器有りきだという事がわかりましたか?
最後に鯉のぼりです。
鯉のぼりの構造を考えたことありますか?
よく勘違いとして、こいのぼりの尻尾はつながっている、と思っている人がいます。
鯉のぼり、実は中が空洞の筒で、空気が素通り出来ます。尻尾は繋がっていないのです。
これでは風船とは違い膨らむことができません。
彼らは、風が吹いていない時は萎んで、風が吹いている時は風がどんな強さに関わらず大きさは一定のままです。
もしも鯉のぼりが空洞ではなく、大きな袋であったなら、風が強い時は風向きとは反対方向に飛んでいってしまうでしょう。(風向きとは、風が吹いてくる方向のことを指す)
膨らむとはまた違うというのがわかります。
それではネットワークと宇宙についてです。
宇宙やネットワークは、はたして膨らんでいるのか?
本題ですね。長かった。
宇宙はビックバン起源説という、ビックバンという大爆発によって何もない所から生まれた、と世間一般では信じられています。
インターネットも同じで、ある日突然、もしくは宇宙と同じ時期にできていたのではないか?
既に存在していたものを、目に見える次元にまでに落とし込んだのではないか?
高次元から三次元(パソコンの画面は二次元まで)に映すことに成功したのが、我々が知っているネットワークの世界である、と私は思います。
初めに言った、窓を持っているだけでは世界を知れません。
世界を知る為には窓をこじ開けないと(キリっ!)
言い方を別のものに例えてみます。
タイトルです。
ネットワークの世界を広大な海に
ネットの世界を覗き見る窓を鯉のぼり、と例えました。
海に鯉のぼりだとおかしいかもしれません、ですが鯉のぼりです。
鯉のぼりは空を風に乗り、すいすい泳ぎます。
鯉のぼりは、空洞であり、口から風を吸い込んでは、膨らむのではなく、おしりから流れては、一定の大きさのまま。
同じ大きさのまま、どこにもいかず、ポールにつながれています。
スマホやパソコンを鯉のぼりとして、ネットの海には沢山の鯉のぼりが泳いでいるのです。
日々、私たちはネットを見て、いろいろな情報に流されます。
アイドルのゴシップに踊らされたり、情報を得ては忘れさったり。
ネットを見るというのは、自らを鯉のぼりにすること。
決してため込まず、吐き出す。
ですがこれでは、魚にしてみれば養殖漁業も同じです。
安全な場所で守られ、自然と違い餌の心配もいらない。
しかし、いずれ食卓や水族館、かまぼこなどに出荷されてしまいます。
そう、私たちは鯉のぼりでありながら、つながれたポールをとらなければならない。
おしりを閉じ、情報を素通りせずに、自らにため込む。
ため込んで、情報を知識と化し、風船となり、飛んでいく。
飛んでいくのは怖いでしょう。
海を漂流すると、いまどこにいるのかもわかりません。
ただ、流れに身を任せる。
そして、またどこかのポールを見つけては、おしりのしまりを緩め、情報を素通りさせる。
そういう人生を私は歩みたい。
私たちは鯉のぼりであり、ネットもまた鯉のぼりである。
最後に!
この文を勢いだけで書きました。言い訳です。
まだ書きたいですが疲れたので続きはまた今度。
打ち切り漫画みたいな、俺たちの戦いはこれからだ、エンドになってもうしわけない。