私の後ろに道はできる、はず。

時は無情である。日々、通り過ぎてしまいがちな今を切り取り、1冊のアルバムを作る。

私とお婆ちゃんとマルチ商法?

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マルチ商法

聞いたことがあるだろう。

いわゆるピラミッド型の連鎖商品販売取引である。

漢字を沢山並べて申し訳ない。

ねずみ講として聞いたことある人もいるだろう。

だがねずみ講というものに似て非なるものである。

が一緒くたにしてしまうのは危険である。

ねずみ講というのは、ねずみ算と呼ばれるものを利用した犯罪である。

二匹のつがいネズミが、ある一定期間でどのくらい増えるか?

という算数だ。ある一定期間が長ければ長いほど人は増えていく。

しかし人口は有限だろう。

ねずみ算はに増えていくとして想定されている以上、どこかで綻びが出るだろう。



ドラえもんの怖い話であり、有名な話。

バイバインである。


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ある日のび太は悩んでいた。どうして栗まんじゅうは食べたらなくなるのだろう。
食べてもなくならない道具を出してとドラえもんに無茶振りをかける。
するとドラえもんバイバインという道具を出す。この道具は液体で、一滴かけるだけで5分ごとに倍になっていく。1つが2つ、2つが4つ、4つが8つとどんどん増え続ける。そこに終わりはない。始めはのび太は喜んだ。こんなに食べれるなんて夢みたい。だけど飽きてくるしお腹も満たしてくる。お母さんやジャイアン達にもやるのだが皆も食べれず一個だけが残る。ついにのび太は完食せずにゴミ箱に一つだけ捨てる。そして幾分たった頃、家の裏にあるゴミ箱があったであろう場所から栗まんじゅうが山のようになっている姿を見つける。
エライことをしてくれた。
ネズミを見たことばりの顔をして驚くドラえもん
このままでは一日で地球は栗まんじゅうにつつまれてしまう。怒るまもなく宇宙に栗まんじゅうをすべて打ち上げる。宇宙では今も栗まんじゅうは増え続けている。
家の軒下にひとつ栗まんじゅうを残して。

という話。無限に増えていく恐怖である。

ひとつだったものが同じ姿で増えていく。

もう増えてしまった以上、どれがオリジナルであったかなんてわからない。

皆がふえるのだから、そもそもわかる必要なんてないのだが。


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では画像を見てほしい。

下にいくほど人は多くなり、そして顔もしかめっ面している。

そうだ。

ねずみ講とは上の人であるから儲かるのであって、下の人になればなるほど儲かることができない。


儲かるのは始めから自分からやりだした指折りの人たちであって、紹介されたから始めるという私達では断じてない。

私達がその商売を知る頃にはもう親ねずみなど見えることがないのだから。


ではマルチ商法とは何か。

上で一緒として扱われることもあるが違うと言ったが、私としてはほぼ同じだと思う。

違うのは商品メインという点である。

○ムウェイというのがマルチ商法で有名だろう。

口コミで商品を売り、その売った対価として少しばかりの報酬を得る。

別に犯罪ではない。今のところは。

ねずみ講と違うのは、ねずみ講は無限に増えていきお金を得ることをメインとしているのに対して、マルチ商法は商品をある人に勧め買ってくれて、またある人がその商品を他の人に勧めた場合はじめに売った人にも入ってくる連鎖であることだ。

ぷよぷよである。

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1連鎖、2連鎖と増えていくが無限ではない。

だが、商品メインでいくらその商品が優れていてもどうであろう。


長い前置きになったが、タイトルの通りお婆ちゃんがマルチに陥っている。

それも今からではなく、すでに沢山のマルチであると思われる商品が家には散乱している。

ちなみに今私はお婆ちゃんと住んでいる。

これまでもマルチに対して不快な思いを抱いている。

そのひとつ

サイキックシール(エスパーシール)

である。



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シンボルマークが印刷されているだけのシールであり、磁気や薬物を使用しているわけではない。しかし、科学では解明のできない力「大宇宙のま心」が宿るとされており、体や物に貼ることで力の恩恵が得られるとされている。なお「大宇宙のま心」とは、創始者の石井普雄が8次元より授かったとされる大宇宙の根源となる力である。

1980年代に流行り、テレビで取り上げられることもあった。
科学的に解明されていない力であり、その効能には疑問の声がある
心理効果、偽薬効果(エスパーシールの場合)による影響も考えられる

Wikiより

ただのシールである。

もう一度言う。ただのシールである。

何が8次元であろうか。

馬鹿じゃないか。

このシール、値段は1000円である。



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子供の頃はポケモンパンについてくるシールを集めてた記憶がある私だが、このシールは欲しくない。

コレクションとしての価値はないだろう。

それに高い。

高いか安いかは人それぞれであろうが、それにしても旨い商売だ。

お婆ちゃんがシールを買うことはまあ百歩譲って問題はない。

宇宙のパワーなるもので腰が良くなったり恋愛が成就したって構わない。

が、私の財布に勝手に貼られているシールを見た場合どうだろう。

怒髪天とまではいかないが頭に血が登る思いである。

迷惑極まりない。

恋人にご飯奢る際、財布を出してみろ。

何?そのシール。馬鹿みたい。

危険である。

すぐにお婆ちゃんのもとへ

勝手に貼るな!!

と私が鼻息荒くよると、お婆ちゃん一言

お金が貯まるように貼ったんだよ。


うギャーーーである。


私がなぜ怒っているのかもわかっていない。

本人にしてみれば善意である。

善意であるから質が悪い。

もう手遅れだと悟り不干渉をしようと決め込む私。

だが、そのシール。

家のいたる所、風呂場、玄関、窓のすべて、母の車などに貼ってあるなんて気づくのはまだ先のこと。


二つ目が一軒家なのに消火器が3つもある。

普通なのかわからないが、私としては普通どころではない。

おかしいだろう。

お婆ちゃんに確かめて見ると、訪問販売で買ったらしい。

ひとつ三万だという。

値段に関しては記憶力のいい婆様だが、なぜ3個も買ったのか理解できない。

訪問販売の時点で嘘くさいのだが、営業を全否定しているようなので自重しよう。


そして本題。

今回判明した手口。

送りつけ詐欺である。

私がきづいたのが3日前である。

私はよくネット通販を利用して恥ずかしながら宅配の運ちゃんとも顔なじみだ。

この家に来る宅配は全て私宛のものといっても過言ではない。

それが今回お婆ちゃん宛であり、代引きである。

それも料金が3万円というのだ。

ギフトか?と思ったのだが、宛先から化粧品だとわかった。

その時丁度お婆ちゃんは留守でお金もなかったので帰ってもらうことにした。


ちょっとした好奇心である。

送り主である宛先をネットで調べてみる。



ん?知恵袋?マルチです?気をつけて?

私の脳裏に電気が走る。

またか!

どうするべきか。まずは本人に頼んだのか聞いてみよう。




お婆ちゃん。

開口一言 

婆:頼んだよ。

婆:腰に塗るとガンが治ったり、悪い成分が 出るらしい。


私:どこで売ってるの?

婆:知らん

私:誰から買ったの?

婆:友達。今なら5万の所3万円で安いやろう。私もしたらいいよ。

他の人に進めたらお金が貰えるから。




白目である。

もう駄目だ。

本人は騙されているなんて思っていない。

それに私の質問にも大きなお世話だと顔に出している。

不干渉を決め込んだのに貫けなく関わってしまい、関わってしまったのに目を覚ませない。

まったく無力な私である。


長い物語の最後がこの結末で申し訳ない。


信じれば叶う努力は実るといった言葉が大嫌いな私である。


きっとお婆ちゃんはこの言葉好きであろう。


信じれば効果があるのなら、私は魔法を使うこともできるだろう。


魔法を使い、私はこの話を終わらせる。


魔法を使いお婆ちゃんとの関係を終わらせる。

お風呂スマホで感電死 自ら(水から)殺される

http://www.flickr.com/photos/16425093@N00/181217470
photo by cdnsue

スマホブログとスマホ風呂、掛けたのをお分かりいただけたであろうか。

勉強とは関係ないが、ゾッとした事件を耳にしたので紹介しよう。

この恐怖に耐えれるか。

最近巷ではスマホを風呂で充電して、誤って落として感電死している事件があるようだ。

よく探偵ドラマで犯人が入浴中の人にドライヤーを投げ込むシーンを見たことがあるが、あれと一緒であろうか。

自ら(水から)は手を出さずに殺される。

http://www.flickr.com/photos/39415781@N06/6448213371
photo by ell brown

まさに完全犯罪。ホームズでも鹿撃ち帽とパイプを投げ出すだろう。



そうなれば、スマホは小さな爆弾と化すだろう。

手に手榴弾を持っているのと同じだ。

自虐的だが私の住んでいる福岡には手榴弾が落ちてるらしい。



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警察が1つ3万円で買い取ってくれるというのだが定かではない。

そんなこんなで
私の一番大好きな時間。

それは、入浴中にスマホ青空文庫と言う著作権が切れた文学に勤しむことだ。

小説家が死後50年経てばフリーになり誰でも簡単にその作家の足跡を見ることができる。

なんて素晴らしい世界だろう。

今まで本を買ってきたのが馬鹿らしい。

そう、ウキウキとこの世を闊歩している私だが、今回の感電死と言う死と隣り合わせな笑えない状況に冷や汗が脇から落ちる音さえ聞こえる。

手が汗をかいている。

しまった。汗で感電死してしまう。

馬鹿な妄想は置いておいて、

風呂で読む吉川英治三国志である。

ほんの最近、作者吉川英治さんの没後50年から解禁になったこの作品達。

まさに宝、日本の財産である。

これが風呂で読まれているなんてあっていいのであろうか。

いや、あってはならない。

この手に汗握る作品によって、汗で感電死しないように、至福の時間が死福にならないように私は今日も本を読む。

本というよりも文字列に近いのだが。


注意喚起に近いのだが、防水である携帯電話以外はやめたほうがいいだろう。

防水をどこまで信用するのかも考えものだが。


http://www.flickr.com/photos/34325628@N05/14153102401
photo by ChrisGoldNY

自ら(水から)殺されたくなければ

図書館で本を盗むということ

http://www.flickr.com/photos/69675278@N00/9733806851
photo by Brian Cathcart
叩かれる事、承知で書きます。

ネットに晒すことで贖罪になろうとは思いませんが、少しでも罪滅ぼしとして書きます。

もし、私がこれから先警察に捕まろうと言うことになった際、このブログから私の"今"の気持ちを残しておこうというのです。

このブログを警察に見せて、罪を償うきっかけにしたいのです。


罪を懺悔します。

http://www.flickr.com/photos/77939791@N00/6327749043
photo by masaaki miyara
タイトル通り、図書館で本を盗もうとしました。

それも空きバックに入れて何冊も持って帰ろうと。

早速言い訳がましいですが始めからそうしようとは思っていません。

じつは図書カードを忘れたからなのです。

図書館は図書カードという身分を登録した物を介して発行され、借りる際提示します。

それがないと本を借りることができません。

それを家に置き忘れたのです。

私の家から図書館まではせいぜい10分もかからない短い距離です。

取りに帰ればいいのですがそれは面倒くさい。

読み終えたらすぐに返しに来れる距離だから少し拝借してもいいだろう。

どうせバレないだろうし。

そんな甘い考えでした。

それともう一個、返すのが面倒だからもあるでしょう。


ただ一週間で読み終えるか分からないのに何冊も返しにきて借りてがバカバカしいのも事実です。

図書カードで本が借りられるなら、無くても別に借りられる。

http://www.flickr.com/photos/39656565@N06/4451806619
photo by tlchua99
そう悪魔に囁かれたのです。

これは俺らの税金なんだから俺が買ったのと同じだろう。


彼は確かにそういったのです。




意識とは不思議なものです。

私は読書家を自負しています。

バイトで毎月貰える約10万円の内、5万円を使って毎月本を買っています。

私としては本は高価なものです。

高い品物ですが、本屋で万引きをしようだなんて思ったことは一度もありません。

なぜでしょう?

本屋は本が売っています。(本屋ですから…)

購入するまでは店の所有物です。

購入すると始めて私のものになります。

落書きしたり、破るのも私の自由です。

私は万引きは許せません。

なぜなら、バイト先がスーパなのもそうですが、過去私のお気に入りだった本屋が万引き被害で潰れたからです。


小売りは、売値➖仕入れ値=儲け
で始めて成り立ちます。

万引きにより、売り物を取られた際、仕入れ値分だけマイナスになりますね。

本に関しては、売値と仕入れ値はほぼ差がありません。

本の代金は全国どこでも一律なのですから。

だから、一冊を売ったとしても店にはあまり儲けがないのです。

大量に売るからこそ儲かる。当たり前ですよね。

その薄利をマイナスまで落とし、店が普通の客まで疑わなくてはならなくなる状況を生む、そんな奴が許せないのです。

http://www.flickr.com/photos/16041363@N00/2206653043
photo by ianturton
スーパーでもそうです。

私は品出しをしています。

品出しをした後に前出しという棚の奥に引っ込んだものを前に出したり、パッケージが斜めに向いているものをまっすぐにしたりしています。

その時に出るわ出るわ。

奥には食べかけの惣菜パッケージや
中身のないお酒瓶、
箱の空いたラムネだけの食玩箱や
冷凍剥き海老の剥き出しになったパッケージ(これが臭くてたまらない)、
溶けたアイスもそうです。

ありとあらゆる年代によった犯行だとわかる万引きされたであろう物を目撃します。

私が確認できるのは何かしら形跡が残っている場合なのでまだまだたくさんあるでしょうが。

見つけるだけで頭が沸騰します。

いらっしゃいませ


と声を掛けたあなたが犯人なのか?と疑念をかけるのも必然になります。

とにかく私はなにがなんでも許せないのです。




話が少し横道にそれました。

http://www.flickr.com/photos/24490288@N04/16711663295
photo by ONETERRY. AKA TERRY KEARNEY
では図書館はどうでしょうか?

図書館は本屋とまるっきり違います。

図書館の本は税金で購入しています。

私達の税金で本を買っています。

税金で買っているから私達の感覚では無償であり、借りるのも自由にできます。

しかし私だけの税金でまかなっているのでもありません。

市の所有物でもあり、市民皆の所有物でもあります。

今回、私がしようとした無断盗用、窃盗という行為は、あなた達市民の家のタンスから、通帳を盗みに入っているのと同じなのですから。

今、私はあなたの家に入り、タンスから通帳を取り出しかばんに入れていました。


しかしあなたの家を出ることができませんでした。

簡単です。罪悪感であります。

私は確かに悪いことをしている。


そう自覚していました。

いや、いくつかの監視という眼が有ったのも事実です。
http://www.flickr.com/photos/48600084288@N01/275811964
photo by inky
その眼とは3つの眼です。(3人分だから6つか)


1つは利用している他の人の眼。

図書館であるから他の人も利用します。

私がたくさんの本を抱えて、図書館のカウンターを通らずどうどうと外に出ることが出来ようか?

いいえ、出来る訳がないんです。

なにかに入れて隠さないと。

そこで空きバックを使いました。

ただし空きバックをごそごそしている様子を見られるのも不思議がられます。

ですから隅っこのでその作業を始めました。

よし、誰もいない。

こそっといれよう。


そう思った矢先であります。

第2の眼です。

そう、監視カメラであります。

こういう監視カメラを一度は見たことあるでしょう。

http://www.flickr.com/photos/11897392@N04/2913597223
photo by NCinDC

黒塗りであり、どの角度をとっているのか一見分からないようになっています。

しかし私が居た隅の本棚にあるものは、白い色の体で赤い眼でした。

カメラがある方向を赤い光で向いているのですが、明らかに私の方を向いているのです。

それも両側2機も。

挟まれました。

すでに本はゴソゴソとかばんの中です。


もう私の行為はしかとカメラに取られているのです。

そう気づいた私はガクガクブルブルです。

それはそうでしょう。

本来、隅という死角であろう所が、死角のままではないと言うことにを何故今まで気づかなかったのか。


全身から汗が吹き出しました。

そしてカメラの方を何度も繰り返しては見てしまったのです。


第3の眼です。

万引きをしようとしている人は動きでわかる、というのをよく聞きます。

万引き犯は普通の人はしない万引き犯らしい動きをするのです。


その動きとは目線です。

見てしまうのです。店員の方を。

数えてしまうのです。監視カメラの数を。


私がしたことはそれとまさしく同じ、所謂墓穴を掘りました。

監視カメラは私の間抜けな顔を上げた真正面からの写真まで鮮明に写し取ったでしょう。

そして私の動きを不審がる、カメラの奥人も私の行為にきっと不思議がるはずです。


普段あまり人がいない所に人がいて、怪しい動きをしているのに不審がらない節穴なんて存在しているという事実に運命をかけるつもりはありません。


3つの眼があわさった時、抑止力として十分な効果が私にはあったのです。(抑止してはいませんが)
http://www.flickr.com/photos/8889888@N06/4824000160
photo by HiKoTaKe
まるで蛇に睨まれたカエルの気持ちです。

動けばやられる、が動かないと後々やられる。

どちらがいいか、問うまでもありません。

さっと重いカバンから本を翻し、そこに収まってたであろうパズルのピースを元に戻すようにはめ込んでいったのです。


この行為を見た人は不審がるでしょう。

カバンから大量な本を取り出し、適当な場所に刺している人を見ているのですから。


その時の私にはもう周りが見えなかったのです。

犯罪を犯したという既成事実に、もう取り替えしのつかない行動に。

脳天が沸騰したのです。

すべてをはめ込んでも、カバンはまだ重いままです。

まだ入っているのか?

いいえ、中身は空です。

ここで気付きました。


私が始めにしたかばんに入れる行為を見た人が、もし今の戻す行為を見ていなかったとしたら、私のしている事はただの自己満足でしかない事に。

私がかばんに入れた本が、本当に全部元に戻したという保証はまるっきりないのです。

http://www.flickr.com/photos/54657246@N02/8717130580
photo by Stf.O

やっちまった…

心は泣いていました。

突然、ニーチェ

深淵を覗くものは、深淵からも覗かれている

http://www.flickr.com/photos/29310420@N02/5437614015
photo by Gerardofegan
この事かと悟りました。

私は深淵に近づき過ぎました。

深淵も私に近づいたのです。

文字通り沼であり、取る行動全てが私を犯人たらしめる裏目として出ているのです。



今、私は家にいます。
http://www.flickr.com/photos/11384441@N06/4172577749
photo by Singing With Light
これから先、警察がいつ私の元にやってくるかわかりません。

いつかは分かりませんが必ずやってくると思います。

逃げることはできません。

私は沼にいるのですから。

警察が来るまで、罪悪感を感じながら過ごすしかないのですから。

先手を打つかどうかの違いはありましょう。

が今の私には自首なんてできる訳ありません。

最後に私はまだ隠し玉を隠しています。

もう一度図書カードを手に、適当な本を借りに行く。

それで事実の上塗りができる。そう思ってしまう悪魔としての私もいます。

これを読んだあなた。どうか解決策を暴いてください。
それだけが私の望みです。












追記します。

多分、私がどうすれば一番いいのかは、すでにわかっていたんだと思います。

これを書き終えた後で皆から何を言われても私の行動は変わらなかったでしょう。


というよりもこれを書き終えた後、罪悪感に耐えかねてすぐに図書館に電話をしたんです。

拍子抜けしましたか?

がっかりしましたか?


私は臆病なのです。

臆病だからああしたらああなる、ここだからこうだったんだ、と常に最悪を考えて怯えているのです。



電話越しで話す震える涙声の私の声を聞いて最後には向こうの方も笑ってくれました。


男が泣いている声を聞いてびっくりしたんだと思います。

罪を懺悔したことで罪がなくなったとは言えません。


間違ったことをしてしまったのは揺るぎのない事実なのです。

罪悪感とは本当に恐ろしいものです。

恋をして胸が苦しいのとは比べものになりません。

恋のがよっぽどマシ。

ダンゴムシ

私の春は終わらない。

春という季節を感じる ダンゴムシのように

あなたは春が来たと感じていますか?

暖かくなってきたのもそう。

菜の花が、土手一面に黄色を色付けているのもそう。

鼻がむず痒く、クシャミでティッシュが手放せなくなるのもそう。


その季節ごとに風物詩というものが日本にはたくさんありますね。

私が今回、春を感じることができたのは

一匹の虫んこでした。


ダンゴムシです。

皆さんが知っていますね。

触ると丸まる姿から、なんとも安直な名前。

ですが、正式名もダンゴムシだから驚きです。

ダンゴムシとよく似ている虫にダイオウグソクムシがあります。

いまさらですが、虫嫌いな方はごめんなさい(笑)。


このふたり、似ているけれど住んでいる場所はまるっきり違います。

ダンゴムシは陸上に住んでいて、ダイオウグソクムシは深海に住んでいるのです。

陸と海、全く環境が違う場所に似たような姿を見つけることができるなんて生物としての神秘を感じてしまいますね。


さて今回、なぜ春を感じることができたのはダンゴムシのおかげかと言いますと、偶然見た家の庭先に彼らがいたんです。


ただ、なんとなく庭にいて、なんとなく見つけました。

私が彼らを見つけた瞬間、忘れていたあるダンゴムシとの思い出が襲ってきたのです。


彼との初対面はそう、大分遡ります。

小学生の時でした。

あの頃はよく校庭で遊ぶ元気っ子。

子どもだった私は、木の近くや隅っこにいる虫を手づかみでよく触っていた。

いまにして思えば青ざめそうな経験ですが、カメムシを手で掴んで潰したり、蟻の巣に水をかけたり残酷な子どもだったんです。

それでも、虫と遊ぶのは楽しく、触れ合うのもためらいなく、毎日が楽しく過ぎていました。

そんなある日、校庭で見つけたダンゴムシをポケットに入れて、教室まで持ち込み筆箱に仕舞いました。

持ってきたぞ。

俺のペットだ。


と頑強な筆箱という檻にしまい、先生や友達にもバレないように時折確認しては、秘密のことをしてるという楽しさでいっぱいでした。


飽きるのが早いんですね。

次の授業にはもうそのことは頭にありません。


そして次の日、干からびた彼を見つけるのです。


正直、汚いと思ったのでしょう。

そのまま、ゴミ箱に彼を落とし込んだのです。

たくさんのゴミと一緒に彼はすぐに姿が見えなくなりました。


それで、終わりです。

残酷なことをしているだなんて思ってもいませんでした。